私の今日のオピニオンCROSSは、「医療の2025年問題、医療崩壊に対する処方箋」。
2025年には、超高齢化社会となり、人口の3人に1人が65歳以上となります。超高齢化社会においては、患者の数は非常に多くなるものの、医師数に関しても徐々に増えつつはありますが、患者数の増加に追い付いているものではない。人口あたりの日本の医師数は先進諸国の中でも低く、たとえば、OECD34か国中、29位と医師が少ない国の代表例です(図)。2008年に厚労省が、医師数不足のために、医学部定員を1.5倍に増加させるという方向性を示し、医師数を増やせば、日本の医師不足が解消されると考えられたが、もちろんこれも行う意義があるが、一人前の医師になるには、10年では足りないし、これでは医療崩壊に対する根治的な処方箋にはならない。
問題は、地域ごと、診療科ごとの、医師数の偏在化だ。
現状でも地域ごとの格差は著しいものがあり、人口千人あたりで換算すると、京都、東京、徳島に比べて、埼玉は半数以下である(図)。若手医師は、勤務条件の厳しいところを選ばない傾向もあり、人手が多く当直や超過勤務が少なく、教えてくれる先輩医師が多いところを選ぶ傾向もある。さらに、女性医師にとっても、産休、育休を取りやすいところを選ぶから、医師の少ない都道府県は避けたがるであろう。このことが、さらに地域間の医師数の格差、地域ごとの医師数の偏在化を助長する。
さらに、診療科ごとの偏在化の問題だ。
外科、小児科、最近では産婦人科の医師数は減少中であり、その背景には、過酷な勤務条件や、訴訟などのリスクの増加にある。だから、若手医師は、勤務が比較的辛くなく、開業も容易な診療科を選ぼうとする傾向がある。これが診療科の偏在化で、どんどん助長されることになる。こういった偏在化を生じさせたのは、日本の医療における不思議な仕組みの存在である。6年の医学部、2年の初期研修を終えたら、あとは、基本的に、好きな場所、好きな診療科を選択できることである。医学部卒業後、以前は大学医局に在籍し、そこから様々な病院に派遣される医師が大半をしめていたが、2004年の初期研修医制度の導入とともに、医局講座制度は崩壊しつつある。医学部卒業後の初期研修2年間は、主に、内科、外科、救急などを学び、マッチングと言って、地域ごとの医師数の格差が生じないような仕組みが作られている。しかし、そのあとは、全く自由で、何のルールもない。(防衛医大、産業医大、奨学金制度などは除く)。6年の医学部学生、その後の2年間の臨床研修を終えた若手医師らは、日本各地どこの病院に勤務することもできる自由があり、またどの診療科を選ぶ自由もある。仮に全員が、東京で勤務したくて、全員が眼科を希望したら、可能である。
地域ごとの医師数の偏在化、診療科ごとの医師数の偏在化を治す制度を作らなければ、ある都道府県では医師がいなくなり、ある診療科医師が見当たらないという状態も生じうる。医師数全体を増加させることも大切だが、より即効性があり、やらなければならないのは、この偏在化を是正する制度作りである。医療崩壊に対する処方箋となりうると思う。
厚生労働省などが決まりをつくればいいだけだから、それほど難しくはなく、時間も不要。たとえば(全くの一例です)卒業時の成績で、どこで勤務し、どの診療科に進むかの希望を決めるなども一つの案である。あるいは、奨学金制度の適応をもっと拡大し卒業後の医師の勤務をある程度決めさせてもらう。フランスなんかは、この偏在化の是正を行って大成功した国である。
高額の医療器材を所持している開業医のご子息が、他の診療科に行かなければならなかったり、地元に戻れなかったりという点からすると、反対意見も出てくるだろうが、そういった例は、私立大学の特別な枠を作るなどして決まりをつくればいいのではないだろうか。